「ムツゴロウ」こと、畑正憲さんが心筋梗塞でお亡くなりになられました。
ムツゴロウさんといえば、「動物王国」で長きにわたり日本中の人々に親しまれてきました。
また、動物を愛する姿は時には見ている方をドキドキさせることも。
そして経歴をたどると、無人島生活もされていたとか。
今回はそんな、ムツゴロウさんのwiki風プロフィールや経歴・学歴、無人島生活から動物王国までお伝えさせていただきますのでご覧ください。。
ムツゴロウさんのwiki風プロフィール&学歴!

- 愛称:ムツゴロウ
- 名前:畑 正憲(はた まさのり)
- 生年月日:1935年4月17日
- 年齢:87歳没
- 職業:作家・エッセイスト・動物研究科・プロ雀士
- 出身地:福岡県福岡市
ムツゴロウさんは福岡県福岡市で生まれ、兄弟は5人だったそうです。
ですが長男と末っ子が早くに亡くなられたといいます。
医師の父が満州に赴任したことで、幼少時代を満州で過ごされています。
この頃から、生き物が好きで狼と犬との雑種を飼ってみたり、水門でナマズを捕まえたりしていたといいます。
太平洋戦争のさなかに兄の受験に同行し帰国。
中学・高校時代は日本の父の実家・大分県日田市で過ごします。
ムツゴロウさんの学歴!出身高校!

ムツゴロウさんの出身高校は、
大分県立日田高等学校
です。
こちらの大分県立日田高等学校の2022年度偏差値は57です。
2021年度の国公立大学合格者は92名とかなり優秀です。
ムツゴロウさんのの通われていたのは、今より70年ほど前。
学力的な資料はありませんが、ムツゴロウさんはかなり頭がよかったようです。
ムツゴロウさんの学歴!出身大学!

ムツゴロウさんの出身大学は、
です。
ちなみに東京大学理学部の現在の偏差値は67.5です。
ムツゴロウさんは、
と言われるほどで、塾も予備校も通わずに現役合格されています。
教科書を1時間かけて読むだけで、すべて内容が頭に入っていたそうです。
そして、ムツゴロウさんは理科Ⅱ類に現役合格し、当時は理科Ⅱ類には現在のⅢ類も含まれていたそう。
そのため、医師の父からは医学部医学科への進学を望んでいたそうで、ムツゴロウさんは悩み悩んで父には内緒で動物学科に進学されたそうです。
ムツゴロウさん大学院へ!

学部を卒業されたムツゴロウさんは、大学院理学系研究科修士課程に進学しアメーバの生理学的研究に携われました。
しかし、文学もの世界で生きるか、研究者の世界で生きるか悩み自死寸前まで精神的に追い詰められたといいます。
アメーバとか生物学とかの研究に本気にはなれたそうですが、どうしても文学だけはあきらめきれなかったといいます。
そして、突如研究室から姿を消したそうです。
では、その後を経歴で見てみましょう。
ムツゴロウさんの経歴!

大学院の研究所から突然姿を消したムツゴロウさん。
その後をたどってみましょう。
ムツゴロウさん学研へ!

糸が切れた凧のようにふらふらと、気が付いたら山谷(さんや)に居座りやすい宿で寝泊まりしていたところ、そこに出入りしている女性(夜の仕事)に、
「あなたは本来こんなところにいる人間じゃない。いますぐ離れないと本当にダメになるよ」
と説教され家に帰ったそうです。
そして働くところを探そうと夕刊を見ていた時、学研映画が文部大臣賞をもらっていて、
「ここしかない!」
と、当時の学研社長・古岡秀人氏(創業者)に手紙を出し自信を売りこんだところ、
「すぐに来い!」
と速達が返ってきて就職されます。
その職場では、動物生態室というところで細かい解剖などが楽しくて仕方がなかったそうです。
しかし、最終的にはムツゴロウさんは、会社をクビになったそうです。
『われら動物みな兄弟』という作品をよその出版社から出したのが原因だったそうです。
この『われら動物みな兄弟』は1967年、刊行の翌年に日本エッセイスト・クラブ賞を受賞しています。
その後、コピーライターとして働きますが、
「もう畑くんは辞めたほうがいい。中途半端に安定していたら筆が鈍るから」
と、言われコピーライター辞められます。
ムツゴロウさん一家で無人島へ移住!

1971年、東京を離れ、北海道厚岸郡浜中町の嶮暮帰島(けんぼっきとう)に一家で移住。
実はこの時、ムツゴロウさんには家族がいます。
中学時代に知り合った奥さんと大学時代に結婚し、娘さんが大学院を辞めた頃に誕生しています。
移住を決断したきっかけ!
移住を決断したきっかけは2つあるそうです。
①自分の生活をガラリと変えたかったから。
②娘と夏スキーに行ったとき、植物のトゲが刺さり「痛い~」と泣いてたのを見て「鍛え直さないと」と思ったから。
ということなんです。
変わったきっかけですが、それを実行するところがムツゴロウさんなんでしょうね。
出版活動は?

ちょうどこの頃、作家としての文筆活動も活発になる中、無人島でも出版社とのやり取りもちゃんとしていたそうです。
島の対岸にタクシーを待たせておいて、そのドライバーに原稿を渡すとそのドライバーが空輸で出版社に送ってくれたそうです。
また、出版社とのやり取りは電報も活用されたとか。
今とは違い携帯電話のない時代、面白い話ですね。
動物王国の開園!

無人島へ移住して1年後の1972年、ムツゴロウさんは引っ越しを決断します。
その理由は、
だということなんですね。
なんか面白いですw
クマに関しては条例があって、ある程度の大きさに成長すると熊舎を作る必要があるらしいです。
無人島にコンクリートを運んでつくるなんてことは、現実的ではないということから引っ越しを決めたということ。
そして、対岸の浜中町に「動物王国」を開園されました。
ムツ牧場の開園!

そして、1979年には標津郡中標津町にも広大な牧場やログハウスの自宅『ムツ牧場』を開園されます。
この場所でムツゴロウさんは文筆活動を行い、ヒグマとの生活を描いたエッセイ、天然記念物に指定された保全状況の現状などのルポで成功を納めます。
動物王国の経営はムツゴロウさんの自費だった!
ムツゴロウさんは、動物王国で経営をしようなんて思っていなかったそうなんです。
ですが、ムツゴロウさんのエッセイなどで共感を寄せた若者があつまってきたそう。
来る者は拒まずで、そのうち王国に来た若者同士が結婚したり子供を産んだりで、人の管理はできなかったといいます。
また、1年のうち7カ月ぐらい海外ロケでいなかったりしたときには、しらない若者も居ついてしまったりしていたんだとか。
みんなと食事していていて、見ない顔だとおもい、
「最近来たの?」」
と聞くと、
「いえ、3年になります!」
なんてこともあったそうです。
それにしても太っ腹というか、ムツゴロウさんはそんな若者からは一銭もお金をもらわなかったそうです。
当時は、CMや映画の収益で多い時には20億円の収入もあったといいます。
そのころを思い返すと、損得勘定ではなく損損勘定だったと語っています。
「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」が開始!

1980年には、フジテレビ系列で「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」の放送が開始。
この番組は、2001年まで20年近く放送され、大きなブームとなり子供たちの人気番組となりました。
この番組で、ムツゴロウという名前が全国に広まるきっかけになったということです。
東京ムツゴロウ動物王国開園!
「都会の人々に動物に触れあってもらう」というコンセプトで2004年に東京あきる野市に観光施設として開園しました。
しかし、集客は伸びず2006年に閉園。
これで約3億円の借金がのしかかります。
しかし、執筆や講演活動の収入で8年かけて返済したそうです。
しかし、これには裏があり、名前は貸すけど経営にはタッチしないというのが最初の話だったそうです。
結局、いいように使われたとムツゴロウさんは語っておられます。
ムツゴロウさんが心筋梗塞に!
2017年10月にムツゴロウさんは心筋梗塞で入院されました。
手術を経て、入退院を繰り返し自宅療養を続けてきましたが、亡くなる1週間前から容態が急変。
2023年4月5日に自宅で心筋梗塞を発症し、搬送先の病院で亡くなられました。
波乱万丈の人生だったように感じます。
ご冥福をお祈り申し上げます。
ムツゴロウさんのwiki経歴&学歴!無人島から動物王国まで!
今回は、ムツゴロウさんのwiki風プロフィールや経歴・学歴、無人島生活から動物王国までお伝えさせていただきました。
ムツゴロウさんの人生は、かなり波乱万丈のように感じますね。
でも、大好きな動物と触れ合い、大好きな執筆活動もおこない悔いのない人生だったのではないでしょうか。
ご冥福をお祈り申し上げます。



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