大土井裕二さん、とても懐かしい方ですが、若い方にはあまり知られていないかもしれませんね。
大土井裕二さんといえば、1980年代~1990年代前半まで活躍したチェッカーズのベーシストですが、藤井フミヤさんとかとは違い、ちょっと地味な印象もあります。
ですが、シングル『I Love you,SAYONARA』『Love ’91』などの名曲を作られた、チェッカーズには無くてはならない存在でした。
そんな大土井裕二さんの経歴を若い頃から現在まで、深堀してみたいと思います。
ということで今回は、元チェッカーズ・ベーシスト大土井祐二さんのwiki風プロフィールや学歴、経歴や現在の活動についてお伝えさせていただきます。
大土井祐二のwiki風プロフィール&学歴!

- 名前:大土井 裕二(おおどい ゆうじ)
- 生年月日:1962年11月2日
- 年齢:60歳(2023年4月現在)
- 身長176㎝
- 血液型:B型
- 職業:ミュージシャン
- 楽器:ベース
- バンド:チェッカーズ・アブラーズ
- 出身地:福岡県田川市
大土井裕二さんは1983年にチェッカーズでデビューし、今年で40年になるんですね!
チェッカーズではベーシストとして活躍され、その後は俳優などを経て、現在はミュージシャンとして満足できる活動をされているようです。
今回は、大土井裕二さんの経歴を深堀してみたいと思います。
では、まずは学歴から見てみましょう。
大土井裕二の学歴!出身高校!

大土井裕二さんの出身高校は、
です。
福岡県立三井高等学校の偏差値は43~44です。
大土井裕二さんは高校時代にチェッカーズのメンバーと知り合っています。
詳しくは経歴でお伝えさせていただきます。
大土井裕二の学歴!出身大学!

大井戸裕二さんの出身大学は、
です。
日本経済大学の偏差値は41~42です。
大井戸裕二さんは、第一経済大学に通われますが中退されています。
チェッカーズとしてデビューしたのが1983年で、21歳の頃なので音楽をとったということではないかと思われます。
それでは大井戸裕二さんの経歴を見てみましょう。
大土井祐二の経歴!元チェッカーズ・ベーシストの現在!

それでは大土井裕二さんの経歴を見てみましょう。
まずは、大土井裕二さんがベースを持ったきっかけから行ってみましょう。
大土井裕二ベースを持ったきっかけ!
大土井裕二さんがベースを持つきっかけになったのは、矢沢永吉さんとジョニー大蔵さんの伝説のバンド『キャロル』です。
当時、小学生だった大土井裕二さんは1975年4月13日に行われた、『キャロル』のラストライブが
年末の深夜放送で流れていたのを見て衝撃を受けます。
それは、矢沢永吉さんがベースを持って歌っている姿に憧れたといいます。
その矢沢永吉さんを見て、
「これはバンドをやるしかない!と。で、真んなかで矢沢さんがベースを弾きながら歌っているのを見てたから、最初っからベースをやろうと。」
引用:Lmaga.jp
と、言う風に最初からベースをやると決めていた大土井裕二さんは、中学時代にバンドを組み文化祭に出演したのが最初の人前での演奏でした。
そして、高校時代にチェッカーズのメンバーと出会います。
大土井裕二 チェッカーズのメンバーとの出会い!

高校に入ってからもバンド活動を続けていた大土井裕二さん。
ダンスパーティーに行っては演奏したりしていたそうです。
そこで、チェッカーズのメンバーと知り合います。
その当時、大土井さんは『シークレッツ』というバンドを組んでいましたが解散。
そして、藤井郁弥さんたちに誘われるかたちで『チェッカーズ』に加入。
最初は、新しいバンドをつくるまでの繋ぎのつもりがそのまま『チェッカーズ』でデビューとなりました。
チェッカーズのベースは藤井尚之だった!

ベース一筋の大土井裕二さんですが、当初チェッカーズのベースは藤井尚之さんでした。
藤井尚之さんといえばサックスですよね。
この時のことを、大土井裕二さんは、
兄貴(藤井フミヤ)に「ベースはもういいから、サックスやれっ」て言われたんじゃないの(笑)?
引用:Lmaga.jp
ということで、大土井裕二さんはチェッカーズのベーシストとしてスタートを切ることになりました。
チェッカーズ デビュー!

チェッカーズメンバーの藤井尚之さんと徳永義也さんの高校卒業を機に、1983年3月に上京しヤマハ音楽振興会の寮での生活が始まります。
そして同年9月「ギザギザハートの子守歌」でデビュー。
チェッカーズといえば、長く伸ばした前髪とチェック柄の衣装が特徴で、真似をするファンも多く社会現象にもなりましたね。
しかし、この派手な格好に大土井裕二さんは、
見た目重視の一発屋的な感じで見られてたのはわかってましたし、最初は抵抗があったんですよね、やっぱり。あのカッコウから何からね。それまで、こう(とポマードを塗る仕草)やってたのが、いきなりツンツンみたいなね。
引用:Lmaga.jp
大土井裕二さんは、やはり初めは抵抗があったといいます。
あの頃チェッカーズとはアイドルのように見られていました。
でも、大土井裕二さんからすると、アイドルじゃなくてミュージシャンだと思っていたので抵抗があったんですね。
そのうち慣れるもんで、意外とおもしろがるようになって、楽しんでやってるうちに盛り上がってた感じですね。
引用:Lmaga.jp
それはそうでしょうね。
チェッカーズは社会現象になるぐらいの勢いだったので、誰でも味わえる感覚ではなかったでしょうね。
ちなみに大井戸裕二さん愛用のベースがこちら。

『スペクターNS-2』
コンパクトなタイプで、身体にフィットするカーブのボディが特徴です。
チェッカーズは集団就職のような感じだった!
チェッカーズのデビュー後はかなり忙しく、住むところもなかったようで、テレビ局のトイレで顔を洗ったり歯磨きをしていたと言います。
かなり大変だったようですが、グループだったことが救いだったといいます。
1人だと大変だろうけど、田舎から集団就職のようにみんなで出てきてるから。そういう意味でもおもしろかったですね。
引用:Lmaga.jp
集団就職といえばそうなのかもw
でも、おもしろい表現ですね。
チェッカーズ解散!

1992年、チェッカーズは解散することになります。
理由は俗にいう、「方向性の違い」ということでした。
実際の理由は、藤井フミヤさん・高杢禎彦さん・作曲家の芹澤廣明さんとのいざこざのようですが、ここでは伏せておきます。
チェッカーズ解散後、大土井裕二さんは役者の道に進まれますが、その前に大土井さんが作られた曲を見てみましょう。
大土井裕二の名曲!
大土井裕二さんが作られた曲には、名曲といわれるものも。
代表的な曲を上げてみますと、
- 『ガチョウの物語』
- 『I Love you,SAYONARA』
- 『Love`91』
などがあります。
『ガチョウの物語』
『ガチョウの物語』は特に面白い曲でしたね。
この曲は子供に向けて作った感じの曲で、「ひらけ!ポンキッキ」の中でも大人気の曲でした。
この曲は、大土井裕二さんがまだアマチュアだった頃に作られた曲なんですね。
『I Love you,SAYONARA』
『I Love you,SAYONARA』は、1987年3月5日にリリースされたチェッカーズ13万枚目のシングルです。
この曲は、チェッカーズのシングルの中でも特に人気があり、コンサートのラストソングとしても知られていました。
今でも、カラオケなどでも歌われる方もおられますね。
『Love`91』
『Love`91』は、1991年3月21日にリリースされたチェッカーズの25枚目のシングルです。
大土井裕二さんにとっては、12作ぶり4年ぶりの作曲となりました。
どれも、いい曲ばかりですね。
大土井裕二 チェッカーズ解散後 俳優へ!

大土井裕二さんはチェッカーズ解散後、興味のあった役者に挑戦されています。
ドラマや映画、Vシネマにも出演され、その期間は約5年間(1994~1998)ぐらいの間、役者として出演され、その間は音楽から離れていました。
CMにも出演されていますが、映画なども含めかなり古いものになるため、画像や映像を探してみましたが、見つけることはできませんでした。
音楽から離れていた大井戸裕二さんですが徐々に音楽の世界に戻っていきます。
チェッカーズ楽器陣でアブラーズ結成!

アブラーズというのは、1984年8月にリリースされた『星屑のステージ』をテレビで披露したときがきっかけにできました。
当時チェッカーズの衣装は、ボーカル陣はキラキラしたラメ入りだったことに対して、演奏陣はラメが入っていなかった。
そのことに違和感を示した演奏陣が、
「光り輝くボーカル陣に対して俺達はアブラムシのようなもの」
という理由から、遊びで、
『サニー徳永とジ・アブラーズ』と名乗ったのが始まり。
ですが、これはその時だけで、それ以降は名乗ることはありませんでした。
2003年 アブラーズ再結成!
チェッカーズ解散後、約9年ぶりに楽器陣4人が連絡を取り合って飲みにいったときに楽器陣だけでライブをやろうという話が。
チェッカーズデビュー20周年に当たる2003年9月21日にライブをする計画が持ち上がり、名義は「アブラーズ」で行こうとなりました。
当時のメンバーはチェッカーズの楽器陣、
- サニー徳永(徳永義也・故人)
リーダー・ドラム - アンバサダー武内(竹内亨)
ギター - アルマジロ大井戸(大井戸裕二)
ベース - リットル藤井(藤井尚之)
サックス
2004年8月17日、サニー徳永こと徳永義也さんは舌癌のため逝去されました。
メンバーは3人となりましたが、今でも3人アコースティックギターを持って、飲みながら昔の曲をやったり、定期的に毎月東京でもやっているそうです。
2018年には、大阪なんばHatchでのライブ「Roots Of Groove」では、藤井フミヤがミッシェル藤井として『涙のリクエスト』を披露しています。
大井戸裕二の現在は全国めぐり!
最近では実際に活動しているバンドはないそうで、大井戸裕二さんは現在はソロを中心に活動中です。
きっかけは、年齢が50歳になったのを機に、記念にソロアルバムを作ります。
そして、
「せっかく作ったんだからライブやったほうがいいよね」
ということで、手っ取り早いのが弾き語りということに。
弾き語りをやっているうちに地方も行こうということになり、
とホームページにあげることに。
そうすると、メールが集まったそうで全国めぐりのライブが始まります。
この全国めぐりはすでに10年を超えており、都道府県を制覇されているそうです。
年間のライブの数は120前後もあるということで、3日に1回にペースですね。
これは凄いですよね。
大井戸裕二 全国めぐりのいいところ!
チェッカーズ時代とは違い、ひとりで行動している大井戸裕二さん。
全国めぐりの良いところは、
1人の場合はもうそこで飲んだりとか喋ったりがあるので、すごい仲良くなる人もいて。するとまた行くよって、毎年とか、半年ごとに行くお店がどんどん増えていくので。ありがたいですね。
引用:Lmaga.jp
その土地での触れ合いがとても楽しいそうです。
チェッカーズ時代とは違う、ひとりの楽しさを満喫されているようです。
そして、お客さんともコミュニケーションをとられるということで、そのライブハウスが飲めるところならそのまま飲んだりして楽しんでいるということです。
ぜひ、いちどは行ってみたいですね。
大井戸裕二さんの経歴を紹介させていただきました。
大土井祐二のwiki経歴&学歴!元チェッカーズ・ベーシストの現在!まとめ!
今回は、元チェッカーズ・ベーシスト大土井祐二さんのwiki風プロフィールや学歴、経歴や現在の活動についてお伝えさせていただきました。
チェッカーズから役者、そしてアブラーズからソロと、なかなか忙しく濃いい人生のようですが、今が一番楽しいようですね。
ライブに行くと、一緒に飲んだり話したりもできるようなので行ってみたいですね。



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