みなさん元ヤンキーの芸人「こゝろ」(こころ)をご存じでしょうか!
ツッコミの山出谷 怜門(やまでや りょうと)さんとボケの荒木 誠也(あらき まさや)さんのコンビで主に漫才で活躍されています。
特に山出谷 怜門さんは、出身の岸和田でも有名ヤンキーだったそうです。
そして、曽祖父は横綱だったそう。
そんな、山出谷怜門さんの中学や高校も気になりますし、その強烈なエピソードもおもしろそうですよね。
なかなか話題性のある人物です。
ということで今回は、【芸人】こゝろ山出谷 怜門さんのwiki風プロフィール、経歴をヤンキーエピソードも交えてお伝えさせていただきますのでご覧ください。
【芸人】こゝろ山出谷のwiki風プロフィール!

- コンビ名:こゝろ
- 名前:山出谷 怜門(やまでや りょうと)
- 生年月日:1992年7月9日(2023年3月現在)
- 身長:180㎝
- 出身地:大阪府岸和田市
山出谷怜門さんは、お笑いコンビ「こゝろ」のツッコミ担当。
登場してすぐマイクを低くしてビンタが定番で、漫才の腕はかなりのものだと感じます。
ツッコミのタイミングといい、ことばといい一瞬でお笑い好きのこころをわしづかみにしてしまうところは凄いです!
もちろん、ボケの荒木 誠也さんあってこそですけどね。
今回は山出谷怜門さんについて深堀していきます。
山出谷怜門さんは、大阪府岸和田市出身。
岸和田といえば「岸和田だんじり祭り」が有名ですよね。
荒々しく気合の入った男達がだんじりを引いて回るさまは、かっこいいとしか言いようがありません。
山出谷怜門さんのイメージになんかピッタリですね。
山出谷怜門さんは元ヤンキーということが個性であるかたですが、そのルーツとなる中学校や高校が気になります。
また、ヤンキーエピソードも含め、経歴を見てみたいと思います。
【芸人】こゝろ山出谷の経歴!ヤンキーエピソードが強烈!
それでは、山出谷怜門さんの中学や高校のヤンキーエピソードを含め、経歴を見てみましょう。
山出谷怜門の中学校はどこ?エピソードも!

出身が岸和田氏なので、市内の中学校だということはわかります。
岸和田市内には中学校は11校あり、山出谷怜門さんがどの中学校に通っていたか特定することはできませんでした。
山出谷怜門さんはケンカ負けなしということで、そのあたりのエピソードを見てみましょう。
中学校対抗ケンカ大会!
今はどうかわかりませんが、山出谷怜門さんの中学時代、岸和田には他の中学校と戦うケンカ大会があったそうです。
そのころ、『クローズ』が流行っていたそうで、漫画に影響されたスタイルで「ギブアップ!」といった時点で終了というルールなんだとか。
ケンカのきっかけがまた変わっていますね。
ホームページできっかけをつくる!
山出谷怜門さんの岸和田での中学時代は、各学校(チーム)それぞれホームページが流行っていたそうなんです。
そして、他のチームのホームページに行き足跡を付け、向こうのチームもホームページに来て写真を見て、
「顔キモいな」
「お前、弱そうだな」
とコメントしてケンカを売るといった流れで、約束をするといいます。
そして、当日は学生がいっぱいになり、約束した相手がわからなくなるそう。
なので、またホームページでコメントのやり取りをして、待ち合わせてけんかしていたそうです。
なぜそこまでケンカにこだわるのか?

なぜそこまでケンカにこだわるのか。
それには理由があるようです。
それは、
「卒業式で刺しゅう入りの学ランを着るため!」
なんだそうです。
それを着るには、「一番強い」と先輩に認めてもらうことで着ることができたんだそうです。
では、高校での山出谷怜門さんはどうだったのか見てみましょう。
山出谷怜門の出身高校は?

山出谷怜門さんの出身高校は、
です。
大阪府立堺工科高等学校時代も、山出谷怜門さんのエピソードは続きます。
高校はかなりのヤンキー高校だったそうです。
ケンカもかわらずあったようで、タイマンに負けるとみんな学校に居れなくなって辞めてしまうそう。
入学時に300人いた学生が卒業の頃には100人程度にまで減っているとか。
そんな高校生活を送っていた山出谷怜門さんでうがちょっと変化はあったようです。
ケンカに飽きた!
中学の頃からケンカに明け暮れていた山出谷怜門さん。
高校1年の終わりの頃には、
って、なったそうです。
そして、出会ったのがラグビーでした。
ラグビー部を作ってしまった!

実は、授業の時にあるビデオを見せられたそう。
それが、ヤンキー高校のラグビー部の成長を描いたあの、
だったそうです。
「うわっ!かっけー!」
ってなったそうで、
「よーし、今日でケンカは止めだ!」
そして、同級生の不良50人集めて、ラグビー部を作ってしまったそうです。
行動力が凄いですね。
「ヤンキー×スポーツ」の王道『ROOKIES』みたいですね。
試合相手がいなくなってしまった
やはり、ヤンキーが集まってのラグビー。
体当たりなんかがあるのは当たり前ですが、それがケンカになってしまうそう。
ケンカで退場しても10分で戻れたそうで、あんまり反省していなかったのか、悪い噂が回り対戦相手がいなくなってしまったそうです。
仕方がないことですね。
しかし、奮起します。
県大会に向けて!
いつもありがたすぎます🙏🙇♂️#ハライチのターン pic.twitter.com/IvKdkfiVO4
— こゝろ 山出谷怜門 (@ryoto0724) June 3, 2021
対戦相手もいなくなってしまったことで、
という思いから、みんなでめちゃくちゃ真剣に練習したそうです。
そうすると、だんだん強くなっていったそうで、
「県大会にいこうぜ!」
と、目標に向けて必死に頑張ったそうです。
3年の最後の大会では残念ながら途中で敗退してしまったそうですが、やり切った感はあったでしょうね。
山出谷怜門さんはなかなか、とんでもない高校時代を送られたようですね。
現在、大阪府立堺工科高等学校のホームページを見ると、ラグビー部は無いようです。
山出谷怜門 社会人に!
大変な学生時代を過ごし、最後にはラグビーに出会った山出谷怜門さん。
就職で東京にでてからも、社会人チーム『駒場WMM』でプレーされていたようですね。
芸人になる前までは、飲食関係のフランチャイズチェーンの本部に勤務し、飲食のスーパーバイザー、中華料理店の店長などを経験されています。
相方・荒木 誠也との出会い!

山出谷怜門さんと荒木誠也さんとの出会いは、お互い東京で共通の友人がいたからだそう。
山出谷怜門さんは岸和田出身で、荒木誠也さんは堺市出身で隣同士です。
山出谷怜門さんは、荒木誠也さんを堺のギャル男として知っていたそうです。
荒木誠也さんは、山出谷怜門さんを岸和田の怖いヤンキーとして知っていたそうです。
2014年、お互いが大阪に帰れなかった正月に2人で飲みに行ったときに、山出谷怜門さんが芸人になりたい思いを語ったことで、同じ考えだった荒木誠也さんが一緒にと土下座してきたそうです。
そして、ふたりはコンビを組むことを決め、2014年4月、ワタナベコメディースクールの20期生として入学し2015年4月にデビューしました。
二人はもともと、コントをやっていたそうです。
しかし、伸び悩んでいたところ、動機の人間から、
と言われ、漫才に転向したといいます。
漫才に転向し、ワタナベコメディースクールのライブで優勝できるようになったそうです。
今の漫才も、過去の自分たちの雰囲気を交えながら披露する漫才は最高です。
本当に聞いていて、間の取り方や言葉の切り返しなんかも絶妙で、素晴らしいものがあると思います。
今後、本当に楽しみな漫才コンビです。
【芸人】こゝろ山出谷のwiki経歴!ヤンキーエピソードが強烈!
今回は、【芸人】こゝろ山出谷 怜門さんのwiki風プロフィール、経歴をヤンキーエピソードも交えてお伝えさせていただきました。
なかなか強烈なエピソード満載でしたね。
山出谷怜門さんには、芸人になりたいという夢があり、偶然知り合った荒木誠也さんと意気投合したのが人生のターニングポイントだったのかもしれませんね。
ほんと、「こゝろ」の漫才はおもいしろいです!
今後の活躍にほんと期待しています!



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